はじめに
これからお話することは、現代のネットとリアルの衝突を象徴的にあらわしたとても深い物語になります。
ネットが浸透しグローバル化の進んだ現代社会において、こじんまりとひそかに息づいていたある小さな文化圏がいかにして世界に伝搬していったのかという物語。
私たちの何気ない日常は、今やふとしたはずみでバズが起こり、自分たち以外には関係ないだろうと勝手に思っていたことが実はそうではなく、拡散し、混交し、そして新しく別な形で創造されるという、魅力的であると同時にある意味とても身近な事例でもあります。
この物語のベースは、ジャーナリスト佐々木俊尚さんによる、彼と増田セバスチャンさんとの対談がもとになっており、これを当ブログ管理人であるKENBOが自分なりの解釈を通じて綴った内容となります。
ニュースソースは、8回モノのシリーズとして佐々木俊尚さんの有料メルマガに掲載されていたものです(内容をお伝えすることを許可されています)
これがとてもなくじ~ん!と来るほどに私は感動してしまい、始めから何度も読み返しました。
この素敵な物語について、どう伝えていこうかと悩みながらも、ドラフトを書き始めましたらとてつもなく長くなりそうで・・・・いくつかの記事に分けてお話していきたいと思います。
増田セバスチャンさんって?・・・
私はそもそもがアーティストの世界と無縁の人間のため、この対談で初めてそのお名前を知ることになりました。
「原宿カワイイ文化」の創成期から関わっていらっしゃる第一人者です。
また1995年に開店した原宿ショップ「6%DOKIDOKI」の運営者であると同時に、それ以上にきゃりーぱみゅぱみゅのアートディレクターとしてTVなんかの出演を通じ有名な方です。
1970年生まれだということで、今は43歳かな・・・
因みに佐々木さんは御年52歳ということで、世代も近くより親近感を感じております。
そしてここからまず物語は、2014年3月に全く無名のノーマークのアーティストとしてニューヨークに殴り込みし、個展の開催にこぎつけそこで大成功したというところから始まります。
ニューヨークの一角で、先端のアーティストたちが集まり厳しく評価される場所です。
・・・まるで見てきたように書いておりますが、リアリティ表現の一環としてご理解ください(^^)
個展は5人も入ればいっぱいの狭い一室で、マイナス8度の気温の中、なんと1000人もの人が訪れ大盛況でした。
なぜこうなったのでしょう?
そんな簡単にモノゴトが進むはずがない・・・と多くの方が想像される中、すでに物語の最後まで知っている私は、やはりいろいろな下地があって、つまりプロセスがあって、そして最後に度胸がそれを後押ししたように感じております。
ま、とにもかくにも増田セバスチャンさんの公式サイトとブログ、そして「6%DOKIDOKI」のページはこちらです。
ここでまず、独特の色彩がかもし出す世界に仰天してから次へお進みください。
増田セバスチャンオフィシャルサイト
増田セバスチャンBLOG
6%DOKIDOKI
そういえば、7月5日(土)の21時から嵐の番組で
「きゃりーが参戦!原宿系コレクション10(テン)万円」ってやってましたね・・・
なるほどあれが、原宿カワイイなのね・・・とオジサンもつい頷いてしまいました。
初個展Colorful Rebellion - Seventh Nightmare
ニューヨークはチェルシーのギャラリーにて2014/2/28~3/29開催。
"Colorful Rebellion"って、「色彩の反抗」という意味で、「七つの大罪」がテーマであるということです。
このページでその模様が紹介されています。
Colorful Rebellion
チェルシーというのは、ギャラリーがたくさん集まっている一角だそうで、その中の5人も入ればいっぱいいっぱいのギャラリーで開催。
今や世界に広がっているカワイイというカルチャーについて、表面的な派手さや奇抜さで見られがちなのを、「なぜそういうものができたのか?」を裏側から見せるというコンセプトということです。
このとき、セバスチャンさんはまだアーティストとしてデビューしていません。
オモシロいのは、なぜ強豪ひしめくニューヨークでデビュー?
ってことになるわけですが、すでに日本ではアートディレクターして名前が知られるようになったため、例えば大きな百貨店なんかで開催したところで、「人気が出たアーティストが展覧会開いているな」くらいにしか思われずそれがまず嫌だったと。
原宿でやってきたことをそのまま、アート関係者の心眼鋭いニューヨークにもってくるとどういう評価を得られるか、ご自分のコンテンツがどう評価されるのか見てみたかったというわけです。
デビューもまだしていないので、ここだったら失敗しても諦めがつくという決意と行動がまた素晴らしい。
それに初めての個展なので、広告も美術雑誌とかに出すこともできなかった。
ではどうして人が集まったのかというとfacebookの拡散だけだということです。
人目につかない場所の3Fのギャラリーに、それも零下8度で人が最も集まりにくい状況のなか「これはなんなんだ?」「なにが起きているんだ?」と一般の人も現場を目撃しようと結果的に1000人も集まったのはfacebook云々というよりやはり展示物そのもののインパクトが絶大であったからと想像できます。
その後もモストポピュラーということで、継続してトップをとっているという事実からもアメリカ人が認めたそのコンテンツは何なのか?ということを掘り下げることに意味がありそうです。
これには佐々木俊尚さんの視点がとても素敵すぎて、一気にここで書いてしまうのは惜しいところなので次回に紹介していきます。
きゃりーぱみゅぱみゅというアイコン
この記事と別にまた、きゃりーは後に出てきます。
彼女は、ご存知の通り原宿のアイコンとして日本だけではなく世界に名を轟かせるに至ったわけですが、もともとは6%DOKIDOKIのお店のファンで毎週のように通っていた一人に過ぎませんでした。
きゃりーが本格デビューしたのは、震災の後です。
ドンキやドラッグストアで、原宿系つけまつげである"EYEMAZING 原宿dollシリーズ"なんかもプロデュースする1993年生まれの多彩な女の子。
別名「きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ」ですw
震災後から大ヒットしたのも偶然とはとても思えず、きゃりーぱみゅぱみゅというアイコンが世界に当時どう映ったのかを読み解くことで、原宿の文化が伝搬していったそのプロセスも納得いただけると思います。
きゃりーぱみゅぱみゅも原宿カワイイの話も、これから先どんどん深く掘り下げ、その謎が解き明かされていくお話が続いていきます。
クラスタ化された小さな文化の衝突と混交が繰り返されることで、それがやがて大きな流れとなり新たな文化を織りなすプロセスに、ネットとリアルの今と未来を感じていただけるものと確信しております。
全8話かそこらまで物語は続きます。