こちらの記事は、シリーズ第4回目でして以下の記事の続きとなります。
いよいよ、このシリーズのクライマックスに近づいていきます。
きゃりーぱみゅぱみゅと原宿カワイイはこうして世界に広がった(3)~すべてがサブカルチャー化した時代
原宿カワイイのROOTSから今に至るまでの全貌の解明に迫るわけですが、この意味は単に原宿カワイイを理解するだけではなく、ネットとリアルのぶつかり合いと協調というものの正体を知ってもらうことにあります。
あなたが今、どのようなビジネスをしていようとグローバリゼーションは避けられません。
その中で知っておくと、何かと役立つようなお話となります。
それでは・・・
Let it Go !
原宿ファッションのルーツを探る
増田セバスチャンさんによると、原宿カルチャーの原点はどこにあったかというと、
1980年代の歩行者天国だということになります。
ここでパフォーマンスやダンスが広まり、このうち突出してきたのが「タケノコ族」
タケノコ族のファッションは、ブティックタケノコが発祥でした。
着飾ってダンスをしているうちに、次第に飽き足らなくなり、お飾りを生地屋から直接買うようになって、そこで手作りが始まったわけです。
これもまた飽き足らなくなりエスカレーションして、オリジナルファッションへ進化していったわけですね。
次に出てきたのが、いか天(いかすバンド天国)というバンドブームでした。
1980年代の終わりころの話です。
ところが、バンドブームが招いたものは騒音とゴミ問題でした。
このため、バンドブームは終息せざるを得ないハメになったわけです。
バンドができなくなり、原宿ファッションに移行して今度は1990年代前半になりますけど、増田セバスチャンさんの「6%ドキドキ」もここで誕生します。
それでまた、いろんなファッションが集まってくるようになりました。
いろいろなものが出回りました。
手作りのオリジナルヘアや、お店の暖簾を頭に巻いたり、虫かごをバッグにしたりと・・・
ああ、ひとつ言っておきますと今書いていることはオモログ管理人も世代的にも地理的にもこの現実を受け止められる状況にあったことは事実ですが、いかんせん趣味が合わず一向に気にしたことはありませんでした(笑)
それを承知で書いていることをご理解くださいませ。
それくらいにこの一連の流れがオモシロ過ぎなのですから。
で、話を戻しますと・・・こういった流れでオリジナルファッションが栄えていったということです。
ベネトンとSNSがジャパンカルチャー「カワイイ」を伝搬
事はここで終わりません。
1998年頃ですが、このオリジナルファッションに目をつけた企業がひとつありました。
それが、ベネトンだったわけです。
ベネトンの存在によって、原宿カワイイのローカルな文化が一気に世界へ広がるきっかけを作っていったわけです。
そうして人が集まり・・・また騒音とゴミ問題が浮上します。
まるでいたちごっこですね。
騒音とゴミ問題で原宿カルチャーも再び下火になっていきました。
ここに登場したのがSNSです。
ただtwitterやfacebookではなく、当時はMyspaceというもの。
増田セバスチャンさんの6%ドキドキの情報もこれで広く知られるようになりました。
そうすると;
「そのファッションはどこで買えるの?」とか
「外国では販売してるの?」とか
英語やフランス語でバシバシと問い合わせが来るようになりました。
増田セバスチャンさんはこのとき大いに感激したとのことです。
原宿で下火になったものが、世界では受け入れられている、といった実感です。
こっちへ来るのに旅費が無いなら、友達を集めて全部買うから商品を持ってきて!といったようなリクエストにほだされ、2009年あたりから世界中にワークショップとファッションショーを繰り出していきました。
人集めは、もっぱらfacebookで募集し叶ったようです。
企画はその国のメインストリートを、ファッションショーのごとく練り歩くというものです。
興味深いのは、国ごとにその文化をミックスして、オリジナルの原宿ファッションとは違うカラーが生まれていったというものです。
原宿カワイイ文化の伝搬はグローバリゼーションの典型例
いいですか、ここからが重要です。
当時すでに、漫画やアニメが世界に輸出されていてジャパンカルチャーを受け入れる下地ができていたということが背景にあります。
カワイイは、Kawaiiでハワイ(Hawaii)とほとんど変わりませんので発音も問題ないようです。
ジャパンカルチャーへのリスペクトの対象として「カワイイ」という言葉を受け入れ、広がっていったわけですね。
整理するとこうなります。
・先に漫画やアニメといったコンテンツが世界に発信され受け入れられてきた。
・次に、それらのコンテンツのあたかも一部分として、日本のカワイイファッションという文化が受け入れられてきた。
・その文化を広めていく役割をSNSが担った。
と、こういうわけです。
モノゴトにはすべからく原因と結果がありますが、タイミング的にも時代にあった条件が原因の一角を為して、結果を作っていったと私は見ています。