きゃりーぱみゅぱみゅと原宿カワイイはこうして世界に広がった(3)~すべてがサブカルチャー化した時代

サブカルチャー

こちらの記事は、シリーズ第3回目でして今回きゃりーぱみゅぱみゅは登場しませんが(笑)、伏線としての話を続けていきます。
以下の続きとなります。
 icon-arrow-circle-right きゃりーぱみゅぱみゅと原宿カワイイはこうして世界に広がった(2)~リアルはリアルを離れることでさらにリアルに感じられる

是非シリーズの最後までお目通しくださいね。
めちゃくちゃオモシロイですよ!

ひとつだけきゃりーぱみゅぱみゅに関して私が理解していること先にお話しておきますと、メディアでの誕生も決して偶然ではなく、さまざまなファクターが重なりあい彼女が登場していく下地を醸成してきたのだと確信しています。

ほとんど必然ともいうべき、イマドキの文化の伝搬の波に彼女も見事に乗っていたのですが、それはまた次回以降おいおいと・・・



衝突と混合こそがグローバリゼーションのエッセンス


まず、メインカルチャーというものが最近どんどん意味薄くなっているところから。

戦後からずっと一貫して、欧米が中心にあって日本はカルチャーとしては辺境にあった、という点について異論のある人は少ないと思います。

工業生産にしてもそうですし、目標は欧米を向いていたわけです。
車にしてもそうでした、欧米を目指せ、ドイツを目指せ!です。

しかし今は失業率をみても目指すべき欧米が、ゴールイメージと違うことがわかってきたという状況です。

ただサッカーに限ると、再びドイツを目指せ!というのは正しいかもしれませんね(笑)

メインのカルチャーが消滅し新たなカルチャーが生じるといった現象は今に始まったわけではなく、歴史が証明しているところです。


このことを説明するに、ジャーナリスト佐々木俊尚さんの著書『キュレーションの時代』にとてもオモシロイ話が載っています。


この本のなかで中世のグローバリゼーションについて触れてあります。

それ以前、東の文明は中国中心であり、西は地中海や中東という文明に分離されていました。

地図を見るとなんとなく想像つくことですが、高い山々や砂漠がその間をふさいでいて、そもそもの交通手段が限られていたというバックグラウンドがあります。

そこに12世紀から13世紀にかけ、モンゴル帝国が一気に大陸統一に成功したわけです。
すごいのはここからでして、東西の通行を簡単にしただけではなく、道を整備して、盗賊などの防止や対応のために軍を置いて守ってきたわけです。
さらに、TPPじゃありませんが関税も廃止しました。

佐々木さんによると、「その結果何が起きたかというと、文化のミックスです。」

文化のミックスを示す事例として、中国の白磁をとりあげています。
陶磁器に絵を書くという発想はそれ以前、中国には存在していなかった。
一方で中東には、イスラムブルーと呼ばれる青い染料があった。
しかし中東ではこの染料を陶磁器に使う発想もなかった。
まずはこういった背景があったわけです。

これをミックスさせたのが、チンギスハン率いるモンゴル帝国だというわけです。
そのイスラムブルーとと中国の白磁がモンゴル帝国の開いた東西の交流によって出会い、青花という白磁に青い絵を描いた磁器が生まれた、と佐々木さんは述べています。
日本でいうところの「染付」にあたります。

このように、グローバリゼーションによる文化の衝突が、まったく新しい文化を生んでいくというダイナミズムを持っている。ここがポイントです。

で、この記事では原宿カワイイの話ですが、こちらの例では増田セバスチャンさんの個展でさらに原宿カワイイを着る女の子がニューヨークを起点に広がります。

そこには、もともとの原宿オリジナルのカワイイからニューヨークのファッションとミックスされた新たなファッションが生まれてきます。

いつの時代も、こういった混合が新しい文化を発生させる要因になっています。



すべてがサブカルチャーして、共通の土台が失われつつある現代

グローバリゼーションによる文化の衝突、そして混合は単に新しいものを生み出すだけではなく、今まで主役だったカルチャーがまるで融解したごとく消滅し、いくつもののサブカルチャーを生み出してきました。

例えば、クラシック音楽を例にとりましょう。
以前・・いつまでが以前か定義は難しいものの、クラシックを聴く、たしなむことは「教養」としての側面をもっていました。

さて今ではどうでしょう?
教養から今は「単なるクラシックおたく」として見られてもおかしくありません。


讀賣新聞7月17日朝刊にオモシロイ記事が載っていました。

団塊の世代、1947年生まれの歌人永田和宏氏の談話です。

永田さんの学生時代、1970年前後ですね・・・このころは;
「知らないことは恥かしいこと」という文化が健在でした。

もちろんまだインターネットなどは存在していません。
知らないと共通の土俵に乗れない、だから共通の土台を探ろうとする努力が日常的に普通にあった。

ただ今は違います。
「シェークスピアなんて知らなくてもいいでしょ、関心がないんだから」
今は、価値観違うんだから知らなきゃ知らないでいいじゃん、という風土

会話も相手が知らないだろうこと、興味ないだろうことは話題にしない。
だから話が広がりません。
「あ、そういう考え方があるんだ」という知的興奮が会話から失われる、ということに
永田さんは怖いと感じていらっしゃるようで、私も同感です。


文化だけでなくそこに流れる情報もどんどんクラスタ化されてきています。
小さな断片の情報を共有する一握りの人たちがビオトープ化し、他の価値観を持つビオトープとぶつかったり混じったりを絶え間なく繰り返し、何かの分子運動のようでもあります。

このことを嘆いても仕方ないことです。
ただ、共通の土台を持ちにくい時代になっているのもまた事実。

中途半端なところで筆をおきますが、今回はここまでとします。
次回をお楽しみに。

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